20080929

エルヴィン・ロンメル

 グイド・クノップ(著)高木玲(訳)(2002)『ヒトラーの戦士たち---6人の将帥』 原書房




エルヴィン・ロンメル  <英雄>  (pp.17~98)

  (p.8) 「ロンメルは誠実な軍人であった。彼は民族虐殺についてその全体的規模をけっして知ることがなかった。軍人らしい美徳を、彼はもっともすぐれた形で代表していた。だが主観的には祖国につくしているつもりでも、客観的にみれば、彼は犯罪者につくしていたのである。」

  (p.59a) 「ロンメルは反ユダヤ主義者ではなかった。そのことに疑問の余地はない。第三帝国の初期、ロンメルがゴスラ-の大隊長で、ヒトラーの勢力圏からはまだ遠くへだたっていたころ、こんな出来事があったことを、彼の息子は伝えている。ある大隊付き軍医の〈ユダヤ的な〉鼻について、子どもらしい素朴さから、息子が父親に質問したときのことである。息子は父親の慈愛にみちた、しかしきっぱりとした叱責をくらったという。ロンメルの知人にはユダヤ人が多くいた。他の高級軍人には、反ユダヤ的発言をしたことが伝えられてもいるが、彼にはそんなものはみられない。」

 (p.59b) 「だがナチ首脳部の考え方に対し、ロンメルの態度がどれほどナイーヴであったかは、1943年のあるエピソードによく現れている。あるときのヒトラーのテーブルトークにおいて、ドイツのユダヤ人政策が、外国での国際的威信の低下を招いていることを、ロンメルは強く言上する。ドイツの名声を取りもどすために、彼はこんな提案を行なった。『ユダヤ人の大管区指導者がひとり生まれれば、わが国の世界での立場は良くなるでしょう』。これはヒトラーの激昂をかった。『ロンメル、貴君はわたしの意志を何一つ理解しておらんのか』。ロンメルがその場を辞したあと、ヒトラーは信じられないといった風情であっけにとられていた。『ユダヤ人がこの戦争の原因であることが、あの男には理解できないのか?』と。」

(p.61) 「ナチがどこまでやろうとしているのか、他の多くの人々と同じくロンメルには想像できなかった。東方で行なわれていた残虐行為のことをロンメルは耳にしていたが、彼はその責任を、ヒトラーデハナクヒトラーのとりまきに負わせた。軍事的天才は、政治的には無知だった。元シュトゥットガルト市長であった息子マンフレート・ロンメルはこう認める。『1938年以降、たしかに父はヒトラーに魅了されきっていました。真実を知ったのは比較的遅かったのです』。それはあまりに遅すぎた---ロンメル自身にとっても。」

(p.96) 「エルヴィン・ロンメル元帥という人物のなかには、責任ある将軍が全体主義体制のなかで直面させられるジレンマが、あますところなく現れている。・・・〈砂漠の狐〉エルヴィン・ロンメルは、司令官として才能に恵まれた軍人であった。しかしこの軍事的天才はモラルの面では失敗者だったのだろうか?ロンメルの悲劇とは、民族虐殺の全体像をけっして知ることなく、軍人として美徳をもっともすぐれた形で表したこと―――そしてそのことで犯罪に奉仕していたことである。」

(p.98) 「ロンメルの息子マンフレートは、父親の人生からこんな結論を導きだしている。『従順とか勇敢とか規律といった二次的な徳が讃えられるのは、それが第一の徳に奉仕する場合にかぎられます。第一の徳とは人類愛もしくは真実です。しかしそれらがただ総統アドルフ・ヒトラーと彼のいだいた奇怪な祖国の概念に奉仕するだけならば、まったく正反対のものになってしまいます』。」